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日本図書館研究会特別研究例会(第298回)報告


日時:
2013年6月2日(日)10:30〜12:00
会場:
京都大学文学部新館第1講義室
発表者 :
河井弘志氏(立教大学名誉教授)
テーマ :
図書館旅行の時代
参加者:
51名

 ルネッサンスから啓蒙主義に到る時代,人々は知識や利益を求めて外へでた。図書館も旅行の目的となり,多くの図書館旅行記が出版された。今日は初期旅行者ウッフェンバッハの図書館旅行を紹介する。

ウッフェンバッハ略伝

 ツァハリアス・ウッフェンバッハ(Zacharias Conrad von Uffenbach, 1683‐1734)は,フランクフルトに生まれ,シュトラスブルク大学,ハレ大学に学び,学生時代にドイツ,オランダ,イギリスの図書館旅行をして旅行記を書いた。父の遺産で生活に困ることはなかった。
 1702年,友人とドレスデンやライプツィッヒなど,東ドイツの各地を旅行し,教会,城,図書館,動物園などを見学した。1年9カ月にわたる,まさに青春彷徨の学生旅行であった。
 1709年には弟とザクセンを旅行,領主図書館や教会,修道院,ギムナジウムの図書館を見て歩いた。特に強い関心を持ったのはマヌスクリプトであった。同年12月8日,弟とともに,今度はドイツ,オランダ,イギリスをめぐる長途の旅に出た。
 彼は生涯通して,多くの知識人と文通した。そのなかに大学図書館司書エックハルト,ホイマン教授,ケーラー教授,シュトルーヴェ教授など,旅行記や学識史で著名な学者がある。彼は著書を読むと同時に,著者と直接に文通していたのである。
 ウッフェンバッハは学生でありながら,大学教授に劣らないほどの蔵書,とくにマヌスクリプトのコレクションを作った。マヌスクリプト2,000点,書翰20,000点を含む蔵書は40,000冊に達し,その主要部分は没後にハンブルク市に寄贈された。

ウッフェンバッハ図書館旅行記

 彼の図書館旅行記『注目すべき旅』(Merkwurdige Reise)3部は,死後シェルホルンが出版した。第1巻に編者によるウッフェンバッハ伝記がある。

カッセル

 ウッフェンバッハ兄弟は,1709年11月8日フランクフルトを出発,カッセルで医学教授ヴォルフラートを訪問,彼の講義を聞き,医学,解剖室の標本や道具,自然科学の設備,実験道具,動物園,オランジェリー,化石の洞窟などを見て歩いた。その後も行く先々でさまざまの珍しい事物を見た。そのなかで図書館とマヌスクリプトは彼の旅行の主要ターゲットであった。  カッセルの領主図書館は厩の上にある。ウッフェンバッハは常に,事前にシュトルーヴェやテンツェルなどの文献情報を調べておいて,訪問した図書館で現物を確認した。重要タイトル,自分の蔵書にないタイトルの書名,著者名,判型,紙質,厚さ,出版年(作成年)を転記した。1館のリストが旅行記の4〜5ページに及んだこともある。ただし彼の関心事は,図書館にある図書を直接に見て確認することにあったので,記録する書誌情報は詳細ではない。

マクデブルク

 大聖堂図書館には,かつて司書であった文献史家シュトルーヴェ牧師が書いたマヌスクリプト目録があった。シュトルーヴェはのちにイエナ大学図書館の司書,1704年には教授になり,『文献史入門』を出版し,これがウッフェンバッハの図書館旅行の重要な基本情報源となった。

ヘルムシュテット

 郵便馬車でヘルムシュテットに到着。ヘルムシュテット大学図書館のガラス戸棚にはアウグスト大公,ルター,メランヒトンなど宗教改革者の手紙が多数保存されており,羊皮紙に書いた免罪符もある。彼は「図書館がこれらを率直に公開して,共通の利益に役立て,真理を隠すことをしなかったら,そのほうがずっといい」という。

ブラウンシュヴァイク

 郊外の修道院図書館にあった聖遺物は宗教改革で持ち逃げされ,表紙の金銀装飾もはぎとられた。宗教改革の余波である。

ヴォルフェンビュッテル

 領主図書館はカッセル同様,厩の二階にある。図書館長ライプニツが新館建築を要請し,彼の構想した円屋根図書館が建築中であった。ウッフェンバッハはこの設計は安全性に欠けると書いたが,予想どおりその後損傷が著しく1887年に改築された。1447年印刷というドイツ語聖書があったが,彼はこの印刷年の信憑性を否定した。また大図書館では件名目録も必要という。シュレッティンガーより100年早い件名目録論である。

ハノーファー

 領主図書館長(兼務)ライプニツを訪問したが,図書館見学は断られた。翌日彼が宿屋へきて,ヴォルフェンビュッテルの出版年順蔵書目録は学識史の基本だと自賛した。ウッフェンバッハは,これでは検索しにくい,蔵書目録には学者の伝記情報があるといい,と書いている。

リューベック

 市立図書館はシュタンペル牧師の助言で設置されたと書いている。図書館はアーチ形で美しく,蔵書は8,000冊以上あるが,部門別排架は厳密でなく,マヌスクリプトもない。

ハンブルク

 大聖堂図書館の司書はハレ大学同級生だが,本の知識に乏しい。蔵書の大部分が法律書で,数学器具とマヌスクリプトが同じ戸棚にある。ヨハンニス図書館では遺贈図書の分散が禁止されて,分類排架できない。司書はコペルニクスの名前も知らないので「残念ながらこのような司書は他にももっと沢山いるだろう」と嘆いた。

フロニンゲン

 オランダでは船で移動した。アカデミー図書館(大学図書館)は書棚が木製格子でかこわれ,学生が勝手に取り出すことはできない。窓ぎわに閲覧用の机と椅子がある。

フラネカー

 大学図書館はコレギウム講堂の上のホールにある。蔵書目録にはフォリオ判(1656)とクヴァルト判(それ以後)の2種あり,ウッフェンバッハはフォリオ判を所有している。図書収集について,小さい著作は個人でも買えるから,図書館は大著作を購入すべきだという。

デヴェンテル

 ギムナジウム図書館は蔵書600〜800冊が鎖で書見台につながれている。有力市民が毎年,図書購入の資金を寄付している。

ロンドン

 24時間かけてドーヴァー海峡をわたりロンドンに来た。教会図書館の書架はすべてオークづくり,書架には芸術的な彫刻がある。書架中段に通路のあるギャラリー様式である。シモンズ・カレッジの蔵書はみんな鎖につながれているから,やたらに蔵書を増やす訳にはいかないという。

ケンブリッジ

 大学図書館は明るく上品で,床は大理石,書架はオーク材で彫刻がある。窓際座席で,他の読者に邪魔されないキャレル方式。蔵書は遺贈者別排架で,書架上に遺贈者の紋章か名前が掲げてある。ペトラーハウス・カレジの図書館で『アウグスティヌスの告白』の書名が「Saxonica」になっている。新教に改宗したザクセン領主がメランヒトンに命じて書名を変えさせた本だという。

オックスフォード

 ボードレイ図書館の司書に会うつもりで行ったが,副司書がチップをとって見せる本は下らぬ本ばかり。黄金や真鍮でかざられた貴重本をみせたが,副司書自身は何の本か知らない。百姓や女どもが図書館を見てほめているが「雌牛が稲光りをみて騒ぐようなものだ」と酷評した。「第一司書でなく,副司書にチップをやってよかった。第一司書ならもっと多く恵んでやっても,マヌスクリプトは見られなかったろう」と書いている。第一司書は重複本を売って稼いでいるといわれている。
 エクシーター・カレッジ事務長は入館する前に「誓約書を通読させ,聖書を開いて私の手にのせ,右手の指2本を上におき誓約文を読み,私に本にキスさせた。これがイギリスの誓約の儀式だ」という。

ライデン

 銅版画で有名なライデン大学図書館は水・日,午後2時間開館。買い上げたフォス蔵書がむやみに高価で,大学が告訴して勝訴したが,裁判に出費がかかった,という話を聞いた。

アムステルダム

 大学図書館は最上階で,蔵書はすべて鎖つき,書架の中段に書見台があり,ここに本をおいて閲覧する。書架目録が各書架に貼りつけてある。これを「シェルフリスト」というのか。

ユトレヒト

 ヨハニス教会の礼拝堂にある大学図書館の司書は亜麻布商人で,彼のつくった目録は判型別目録で検索の役にたたない。マヌスクリプトの表紙にも標題が書いてない。

ケルン

 修道院図書館しかない。4月18日,フランクフルトへ戻り,1年半の図書館旅行が終わった。

図書館旅行記の特質と意義

 図書館旅行記に記録された書誌情報は不正確であるが,多くの図書館の所蔵情報が公にされて,総合目録の役割をはたした。  この時代,まだ鎖つき蔵書の図書館が多く,専門知識の疑われる司書も少なくなかった。マヌスクリプトは別置されたが,インキュナビュラは刊本と一緒に排架され,18世紀後半まで一般の刊本と同じ扱いをうけたようである。  公共的図書館より個人図書館のほうが充実していた。しかし旅行者が司書や学者を訪問して情報交換し,図書館の実情が公開されて,図書館についての共通認識がうまれ,図書館学と司書という職業の基礎が形成され,図書館の公開性が高められた。

(文責:河井弘志)