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《座標》
『図書館界』51巻5号 (January 2000)

この仕事がなぜ税金でまかなわれるのか
−それがきちんと言えますか

宇原 郁世

この年越しは,コンピュータの誤作動などが心配されていたが,どうだったのだろう。ともかく新しい千年紀の始まりである。明るい話題から始めたいものだが,昨今の図書館界や日本の社会・政治の動向,世界の動きは,必ずしも希望にあふれた明るい未来を約束してくれそうにはない。だからといって悲観的になってしまう訳にもいかないのだが。学校図書館の人の問題は,なかでももともとの基盤が脆弱なせいもあって,ひときわ厳しい。

昨秋のボランティアをテーマにした日本図書館研究会図書館学セミナーはじめ,夏から秋にかけて参加した大会などで,改めてこのことをさまざまな角度から考えさせられた。97年の学校図書館法「改正」時に,多くの関係団体,現場の学校図書館職員から,この「改正」は学校図書館の前進にはつながらない,むしろ後退に結びつきかねないと危惧された点が各地で現実化してきているのである。

東京都内で学校図書館への専任職員配置をさきがけて実施した日野市が,2003年の司書教諭配置完了年を目途に,学校図書館嘱託員制度の廃止を決定したり,茨城県日立市・千葉県船橋市では非正規職員化が進んだり,市の正規職員で全校配置になっている佐賀県多久市で来年度全校の委託化が提案されたり,という状況である。これまでは比較的安定していた高校の学校図書館でも,実習助手身分で長年学校図書館を専門に担当していた人に「本務である助手の仕事に帰れ」と言われるとか,兼務を命じられるとか,退職補充がなされずに臨時採用の人が入り出すとか,じわじわと学校図書館の空洞化が進行している。

文部省は学校図書館法「改正」前後から,学校図書館図書標準の設定,地方交付税による図書費の措置(93〜97年の5か年計画のあと98,99年度は単年度で継続中),施設設備基準の改定,司書教諭講習規定の改訂など,学校図書館の充実に関した政策を打ち出し実行してきた。それまで学校図書館に関して文部省がやってきたのは,司書教諭講習と研究指定校・文部省主催の研究会の実施につきるという状態に比べ,各段の進歩と言えよう。しかし詳細にその内容を検討していくと,パンフレット「変わる学校図書館」にあるように,学校図書館は「充て職司書教諭とコンピュータとボランティア」でよしとする文部省の意図が明確に見て取れる。

今,リストラで人員削減の数を競うかのような大企業が続出するなか,国の「行政改革大綱」によって「民間でできるものは民間に,官が関与する場合にはその必要性を明らかにすること(説明責任=アカウンタビリティ)」が言われ,自治体はその本来の使命をアウトソーシングという言葉で投げ捨てようとしている。たった2か月や3か月の審議で学校給食や保育園の民間委託が決まるというご時世だ。高知や宮崎で報じられているNPOによる図書館運営も,体の良い民間委託と言えないか。

この仕事がなぜ公務員によって受け持たれなければならないのか,専門職を自認するならば,それが誰にも納得できる説明ができなければならない。

今,岡山では,子育てにかかわる仕事をしている市の職員が,地域の市民とともに子育てを考えようというつどいを,市内の全公民館で展開中である。私の参加したつどいを準備する過程で,隣の小学校で読み聞かせボランティアをされているお母さんたちのグループとご一緒する機会を得た。今の子どもの生活への心配,ボランティア活動での喜びなどの声に直接触れて,ボランティアに対する漠然とした警戒感だけではダメだ,と強く感じた。少なくとも,「子どもたちに本の良さ・楽しさを知って欲しい」と願って活動している市民に,学校図書館の働き,そこでの専門職員の役割が理解されないようでは,そのほか の多くの市民に学校司書配置の意義が理解されるわけがない。

子ども達を見ていても,「マネーと効率」の価値観に支配され,勉強の点数だけで自己を評価する傾向が多分に強い。小学生から自分に見切りをつけている子どもも少なくない。この子どもたちに,本の世界で思いっきり遊んで自分自身を広げることや,本当の学びの楽しさを伝えるために学校図書館は何ができるのか追求し,多くの市民に伝えていきたい。

(うはら いくよ 理事・岡山市立伊島小学校図書館)