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《コラム http://wwwsoc.nacsis.ac.jp/nal/》
『図書館界』52巻2号 (July 2000)

情報リテラシーと学び

北 克一

 新教育課程に基づく新学習指導要領の実施が,小学校・中学校においては2000年度からの移行措置を経て2002年度から全面実施,高等学校では2003年度から学年進行で実施される。これに伴い特に総合的な学習の時間に関連して,総合的な学習の時間=調べ学習=学校図書館の資料を使用する学習,「学校図書館の出番」とする考えもある。

 一方,新学習指導要領では,中学校の技術・家庭の中で「情報とコンピュータ」が盛り込まれ,高等学校では必修科目として情報A,情報B,情報Cという科目が新設される。また,全国の公立小・中・高(11学級以下の小規模校を除く)にネットワークに接続されたコンピュータの配置を2001年度を目処に整備することが目標とされている。

 これらを受けて,子供達の「情報リテラシー」の獲得が肝要との意見が広く唱えられている。しかし,この「情報リテラシー」の内実に対する考え方には,多くの混乱があるように思われる。「情報リテラシー」をコンピュータの操作経験(具体的にはワープロや電子メール,描画ソフトなどの使用)に理解したり,インターネットの利用をブラウザーによるwwwのホームページのサーフィンにとどめる向きもある。

 しかし,「情報リテラシー」の獲得とは,本来には自らの問い・疑問を整理し,現実と向き合い,必要に応じて多様な資料・情報を調べ,それを咀嚼し,自分の中で納得・まとめていく過程に存在する。さらにその先にはそれを仲間に伝え,共同の学びの場で知の交 流を築きあげていくことが見える。

 同じ現代日本語を共有していても,それぞれに異なった環境で育ってきた児童・生徒たちは,生い立ちや本人が歩んできた今までの時間によって,個々にそれぞれが大きく,または微妙に異なった知識や世界観を持っている。

 児童・生徒達が学習するにあたっては,自らに最もふさわしい個々人の学習環境を構築することが,学びと創造のある学習を進めていくのに効果的かつ重要である。
 例えば,国語学習において取り上げられる各種教材は,大きく〔現代文〕,〔古文〕,〔漢文〕に分かれ,それぞれには随筆・評論,小説,詩,短歌,物語・説話,寓話,史話など多様なジャンルがある。これらの各種教材の内容理解のためには,その作品の執筆された時代的・地理的環境,政治的・経済的・文化的背景などの周辺知識を,自己の中に獲得していることが望ましく,これが対象教材の深い理解につながる。1980年代の人工知能研究が夢に終わった人間のいわゆる常識と呼ばれる知識ベースである。

 現在,いろいろな情報は図書・雑誌類(マンガを含む),AV資料,テレビやラジオ放送,インターネットのホームページをはじめとするネットワーク情報源など,さまざまな形で提供されている。こうした多様なそれぞれに特徴のある資料・情報をその特徴や限界を理 解した上で,自らの必要性に応じて,自らで咀嚼し,解釈し,理解していく過程は,直接には対象教材の深い理解につながり,さらには自己による情報の「再編集」能力の獲得,自己教育能力の向上と,生涯学習社会における「インフォームド・シチズン」となるための情報リテラシーの自己形成にもつながるものである。

 ある著者の作品(小説,詩などジャンルは問わない)を読んだ場合にも,著者に関する情報や同一著者の他の著作さらには,同時代の著者達や著作の紹介情報なども,広がりある学習と自ら学び,自らが納得していくという自己学習能力,自己教育力の育成に貴重な情報として寄与できるものである。

 世上,情報教育の推進が唱導され,マルチメディア教材の活用が提唱されている。しかし,インターネットで何ができるのかではなく,どのような教育を進めていくのにネットワークやコンピュータが有効な道具なのかという基本的な視点が真っ先に問われる必要がある。学校図書館の資料の利用においてもこれは同様である。

 学校図書館は,こうした資料・情報の森の提供者であると共に,児童・生徒が自らを形成・獲得していく学びの案内者でもありたい。
そのためにも充て識,兼任の司書教諭の配置でもって「人」の問題が解決したとする安易には厳しい批判が必要である。

(きたかついち 大阪市立大学)