《座標》『図書館界』48巻5号 (January 1997)


1996年をふりかえる IFLA北京大会と日本図書館研究会50周年によせて

深井 耀子

1996年は上記二つの行事があり,節目の年であった。北京大会はIFLA東京大会から数えて10周年にあたり,日本人にとってはとくに意義深いものであった。私が関わっている多文化社会図書館サービス分科会は,東京大会でラウンドテーブルから,分科会に格上げとなって旗揚げした。初代議長のマイケル・フォスターは,日本の実状を知って何か出発の端緒になればと,「分科会及び全体会議決議」を我々のために残してくれた。その文書は日本図書館協会や日本図書館研究会で受けとめられ,我々の財産となっている。

数年の後,日本図書館協会障害者サービス委員会内に多文化サービスに関するWGが発足したことをフォスター氏に知らせると“What a long multicultural road Japanese libraians have travelled since we first met in Tokyo for the IFLA Conference in 1986!”とのメッセージを含む長文の手紙を送ってくれた。

あれから6年。日本図書館協会の『公立図書館の任務と目標』にも“多文化サービス”の用語が明記されたのは新たな一歩といえよう。

同分科会も発足以来のカナダ,英国,スエーデン,デンマークという構成に加えてフランスや米国代表も加わった。1990年代の多文化サービスはフランスなど中欧で市民権を得つつあるという流れを見ることができる。東京大会で採択されたガイドラインも改訂作業を終わり,1997年には発行される。北京大会では中国民族図書館を訪問して,中国式多文化サービスを学ぶことができたのも大きな収穫であった。

さて,日本図書館研究会50周年である。『図書館界』271号の厚みからまず50年を実感し,年表をみて生き生きした先達の息吹きにじかに触れることができた。

1943年6月5日に解散を決定し,8月7日には,「継続」を願って,「日本図書館研究会」という名称を採択したとある。そして9月には日本図書館研究会の「創立」が告げられたとのことである。「解散」と「継続」。普通なら矛盾するこの言葉がさりげなく両立しているところに戦時下の「非常」が窺われる。何かの事情で解散せざるを得ず,表向き「解散」して別の名前でサバイバルしようとのもくろみやも知れぬ。いずれにしても日本図書館研究会は,1943年には芽生えていたのである。だからこそ戦後すぐに「図書館改革運動」を開始できたのである。

創立時の年表で私が注目したのは,「女性会員」に関する記述である。第1号,杉本峰子氏(会員番号27)が堂々としるされているのはうれしかった。とにかく日本図書館研究会には開闢以来「女性会員」がいることが,これではっきりしたのである。

そして1955年には初めて女性評議員が選出された。1967年には編集委員と研究委員に女性が参加したとある。

「初めての女性理事誕生」はその10年あとの1985年~86年度にかけてのことである。こうした事実確認もひとえに,膨大な史料の中から「女性」についての動きを拾い上げてくれたという着眼と努力のおかげである。改めて労作に感謝したい。

「女性理事誕生」の頃,図書館職における女性の地位向上をめざして,FLINT(女性と図書館・ネットワーク)も発足した。発足時のメンバーは,ほとんど日本図書館研究会会員であったのも偶然ではないだろう。

日本図書館研究会のこれからの10年には,女性が以前にもまして起用されるようになってほしいと,願わずにいられない。年表によると1992年に女性比率は33%とある。とすれば少なくともそのくらいの率で理事などの数を目標にしてほしいと思うのである。

むろん女性の側の努力と自覚も必要であるが。この点は自戒をこめてのことである。
21世紀に向けての第1歩を!1997年年頭に。

(ふかい ようこ 椙山女学園大学短大部)