《座標》『図書館界』49巻2号 (July 1997)


館長資格の質的側面

伊藤 昭治

地方六団体地方分権推進本部の提言もおかしな議論である。うがった見方をすれば,首長などが,自分の気に入った人を館長にしようと思っても資格が無いためさせられないとか,自分の意に添う運営をしようと思っても,なんやかやと規制があって思い通りにいかない,そうした苛立ちが法批判をさせているのではなかろうか。

館長が専門職でないことで,より市民ニーズにあった柔軟な運営が可能であるという意見もある。しかし専門職でなかったから,これだけのことが出来たといった,具体的な事例で示さなければ納得できる話にはならない。

首長がよく言う言葉に「特色ある図書館づくり」というのがあるが,これもその多くはかけ声だけで霧散しているとも知らずに,同じような実態のない主張がくり返されているのだ。

これまで国庫補助を取るために,館長に資格を取らせたが,それが終わると無資 格の館長を送り込むことがよくあった。それでも誠実な館長は通信教育や夏期の司書講習で資格を取り,専門職に負けない運営をした。

ただ問題なのは,まったく文化行政と畑ちがいの人の派遣である。話しづらい事 例であるが無資格の館長に悩まされた経験を話したい。

その人が言うには「私が館長に任命されたのは,専門職の職員に勝手な主張をさ せないために派遣されたのである」と公言し,「司書講習の受講などしても何の役にも立たない」という。司書の知識などは知っていて悪いことでもないのに「知ることは相手の土俵で相撲をとるようなものであり,相手の主張を認めることに成りかねない」というのだ。
そこで,その館長は,資格を取ることを放棄して,自分の図書館観を振りまくようになった。「図書館は学生のためにあるのだ。図書館から席借をなくしてはいけない。世間は図書館をそんなものと思っていない」「学生を相手にした昔の図書館運営なら,図書館費も少なくてすんだ,図書館サービスが広がることは市の財政にとって悪いことだ。貸出を増やそうなどといった認識を変えねばいかん」「相互貸借など過剰サービスである,しかも地方自治法に反する」と言い,活発な活動をしている特定の図書館を名指しで「この図書館とは相互貸借をするな」と。
また,「予約制度などは図書館の主体性を欠くものだ」といって買わせないようにした。障害者サービスなどにも冷たく,障害者の利用が理解出来ない様子であった。また,図書館は社会教育機関として,市民を善導するところ,といった考えがあり,「反社会的な本は購入すべきでない」といって購入許可の印を押さなかった。推理小説も図書館に置く本ではないと言い,自分の主観で本を切り捨てていた。『図書館の自由に関する宣言』も日本図書館協会が決めたもので,自治体が拘束されることでは無いと言い切っていた。こうした館長とつきあった苦い経験がある。

この話は毎年司書資格を取る学生に最初に話すことにしているが,なかには「図 書館学を学ばなかったら,旧い図書館観のままだった」と感想を述べる学生も少なくない。

まだ多くの人に図書館は「良書」のみを収集すべきだ,良書だから図書館で購入 されているのだ,と思われているようである。大切なのは図書館は何が良書で,何が悪書かという判断を下す権限を持っていないこと。所蔵しているからといって,その図書の主張を公認している訳でも評価している訳でもないこと。図書館は市民の知る権利を保障する機関であり,なにかの権威のシンボルでもないこと。図書館によって提出される資料の価値判断をするのは,利用者自身でしかあり得ないこと。図書館に多様な資料が集められるのは,市民が自由に判断が下せるようにすることにあること。今,図書館に求められている役割は,かつてそうであったような,思想善導といった目的で,特定の価値を市民に植え付けていくことではなく,あらゆる見識を収集して提供することにあること等々を知ることである。

こうした事柄を資格のない館長はどこで学べばよいのだろうか。館長が司書資格を取るのは,こうした理念を正確に知るのに必要だからである。

(いとう しょうじ 阪南大学)