《座標》『図書館界』50巻4号 (November 1998)


研修の充実を

柴田 正美

9月も半ばを過ぎると、図書館関係の講習等を手伝う私たちの仲間は、やっとのこ とで落ち着いた時間を持つことができるようになった。司書・司書補講習および学校司書教諭講習の「季節」だったわけである。特に今年は、後者に際立った特徴が現れてきた。

1997年6月に学校図書館法の改正と同時に学校図書館司書教諭講習規定が改められ 、1998年4月1日からは現に教育職員でなくても、大学に2年以上在学し、62単位以上を 修得した者も受講できることになる。さらに大学以外の教育機関も司書教諭講習実施機関となることができるようになった。「司書教諭となることのできる者」を大量に生産する体制を整える必要があったからである。
放送大学の関連科目に6000人を超える受講申し込みが殺到する。これまで開講経験 を持たない都道府県立の教育研究所などが講習実施機関となる。受講生に大学在学中の 学生が混じる。中には、司書教諭課程をもっている大学の在学生が取り残した科目を補うべくやってきたり、それを奨励する大学すら出てくる。

これらの一連の動きは、多くの問題を派生した。
まず、司書教諭講習担当者を大量に必要とする要因となった。数年前から続いていた講習実施大学の増加傾向においても、指摘されていたことであるが、学校図書館についてまったく経験のない人、学校教育に関わりのなかった人などが動員される。
受講生の増加は、講習内容の密度を相対的に 低くする。単位の認定も甘くなる。在学生に至っては、教員としての基礎となるような 科目の受講も終わらせないままに受講することになるので、学校教育そのものの理解を 前提にした内容は十分に吸収することができない。
1998年度は、旧科目による講習の最 後の年度となるため、1科目でも修得しておけば2科目2単位が2科目4単位に換算される経過措置の適用を受けることができる、等々。

学校図書館法の改正は、学校教育における図書館の役割を重視し、その充実と展開を目的としたものであった。けれども、そのことを実質的に支えるべき司書教諭の養成がこのように安易になされて良いのであろうか。新規定への経過期間であり、一時的なものであることは認識しているが、この結果、12学級以上の学校に司書教諭を任命しなければならないときに在職している司書教諭のかなりの部分が、こうした粗製濫造を受けた者となる可能性が高くなる。果たして学校図書館法改正の目的は実現するのであろうか。むしろ、法を改正して司書教諭を置くようにしたのに「学校図書館の現実は変わらなかった」ということに成りかねない。

文部省は、司書教諭課程を置いてきた大学に対して「無理をして新カリキュラムを 開講しなくても結構である」との態度を示している。司書教諭の発令が行き渡る2003年以降は、力のある大学等だけが講習も課程も運営するのが本来の姿と考えているようだ 。
同じく文部省は,ここ数年来、学校図書館の資料費を充実する施策をとり続けている 。また、施設の充実・展開を図る動きも活発である。
これらを総合して考えると、将来においては、学校図書館の活動を支える要素の発展を十分に見越すことが出来る。その走り始めの時に支える人に問題がありそうな気がしてならない。

社会の発展・展開は、そこに生きる人々が、常に前向きに自らを成長させるべく努力することによって実現されてきた。「生涯学習社会」と表現される現代においては、このことをほとんどの人が認めており、人生のある時期に修得された知識や技術は普段から研鑽しなければ、何の役にも立たないことを知っている。
「司書教諭となることのできる」資格も同様である。資格の取得あるいは科目の修得だけにとどまることなく、学校図書館の経営に積極的に関与し、学校教育のなかでの図書館の役割を明確に認識した行動を取るとともに、引き続いて知識や技術の向上を目指した行動を創り出してゆく必要があるだろう。
研修の必要性を再認識して、自主的な局面をも含めて、展開されることを期待する。                   

(しばた まさみ 三重大学人文学部 )