《座標》『図書館界』55巻2号 (July 2003)


業績づくり

伊藤 昭治

 最近大学では教員の業績を提出させているところが多い。それでも教員の方はまだよい。業績がないことで多少肩身の狭い思いをしても,それで食べられなくなるということはない。しかし大学院生となると大変である。その業績が就職を左右することになるのだから。こうした事情もあってのことか,学会の発表など,殆どが大学院生で占められ,その動機は売込みであるようだ。

 研究誌などへの投稿論文はまだよい。おかしなものを載せれば編集者の見識が問われるし,査読がある。だが口頭による発表などは,殆どが申告すればできる。それに内容も詳細に公表されることがない。文字になれば,後々まで責任がついて回るが,口頭発表はその点,恥をかくことは少ない。そのため,「問題意識が希薄なもの」「図書館で働いている人が何の興味も示さないもの」「奇をてらうだけのもの」「単に過去の成果をまとめて解説しただけのもの」「先行研究を調べていないか,または無視したもの」「ただ外国事情を紹介しただけのもの」などが大手を振ってまかり通るのである。

 参加者も「何が言いたいの」「この人公立図書館を利用したことがあるの」「それを調べてどうなるの」「それって研究と言えるの」など陰口をたたきながら,発表とは大体こんなものだと諦めている。
 こうした発表に対しては,参加者からの質問も少ない。内容が難しくて理解できないからではない。質問する気力もおこらないからだ。わたしは参加者が反応をしないことに参加者の良識を感じることさえある。質問して,これを評価していると思われたくないといった気持ちからではなかろうかと。
 パソコンを使った発表のテクニックだけは進んだ。短い時間に多くのことを話そうと思えばこれも一つの方法だと思うが,しかし内容が伴っているとはどうしても思えない。口述部分が省略され,十分に推敲されたものとは思えないからだ。

 日本図書館研究会は,これまでも研究者だけではなく,現職者の研究を大切にしてきた。それだけに現職者の参加も多い。現職者は,日ごろから人前で発表する機会が少ないので,発表のテクニックは幼い。しかし内容については,利用者と向き合っての視点があり,実務に支えられているだけに研究者の意識より先行した現実的な論点がある。机上で図書館政策を考えるのではなく,日常業務の中から苦渋に満ちた選択をし,実践をしているのである。それだけに,研究者とちがい空論では遊べないのだ。だからこういう意見もこういう意見もあるというのでなく,少なくともこうあるべきだというような論旨に立ってしまうものだ。現職者のこうした主張も理論として尊重してほしい。

 図書館学は実学である。いくら大学の研究室に閉じこもっての研究であっても,社会に貢献するものでなければ評価の対象にならないし,自己満足に過ぎない。現職者に認めてもらえるものでなければ研究も生かされないだろう。
 今は大学院に入るよりも図書館に就職する方が難しいご時世である。司書職制度を採用しているところでは,優秀な職員が,採用されてきている。わたしはこうした現職者が,地に着いた研究を発表するようになれば,図書館学の研究が進むのではないだろうかと,その方に期待する。

 図書館学は,本を読めば何でも教えられると思われがちなところがある。図書館経営論でも学校図書館のことでも経験したことのない人が平気で教えているこの頃である。こうしたものの中には現職者にとって耐えられないものもある。図書館の世界も移り変わりが激しく,それだけ現場に即した知識が要求されてきている。研究者志望の人も象牙の塔からだけではなく,図書館でひと夏でもいい,図書館実習を経験して,カウンターで感じる感触を研究理論に生かしてほしいと思う。

 日本図書館研究会も日本学術会議に加盟していることもあって,研究職の人たちの投稿も増えてきている。それだけに敢えて言う。「役に立たねば学問でない」と。

(いとう しょうじ 理事)