《座標》『図書館界』55巻5号 (January 2004)


今,学校図書館に注目を

飯田 寿美

 この秋,神戸市民からこんな話を聞いた。「中学生の息子が,学校図書館から本を借りてこないのは,面白い本がないからだろうと思っていた。ところが,2学期が始まってから『本が借りられるようになった』と息子が言うのを聞いて,今まで借りられなかったんだととても驚いた。あわててほかの保護者と一緒に見に行ってみたら,若い司書教諭が鍵を開けてくれた図書室は,1991年の『知恵蔵』ほか,半分は処分してもよいような本の並ぶところだった。司書教諭の資格を取るときにプライバシーについて学んだらしく,ブックカードに名前を書くことはやめていたが,借りた本の書かれた個人カードの箱が,カウンターの上に堂々と置かれていた」。

 2003年,学校図書館関係者は,期待と不安を持って新学期を迎えた。1997年に行われた学校図書館法「改正」によって,12学級以上の小・中・高・養護学校には司書教諭をおかなければならないとされ,その発令猶予期限が2003年3月だったからである。ふたを開けてみると,ほとんどの学校で発令はされたものの,発令者は教育委員会ではなく各校長のところが多く,ほとんど時間軽減はなく,図書部にさえ属していない人もおり,「何もしてもらわなくてよいから名前だけ」と言われたところさえ珍しくはない状況であった。何の研修も時間の軽減もない中で,何かしなければと思ったむしろ良心的な司書教諭が,上記のような行動を起こされたのだろう。

 付帯決議に「学校司書がその職を失う結果にならないように配慮する」と入ったにもかかわらず,学図法「改正」後,司書教諭発令をにらんで,今まで配置されていた学校図書館職員(学校司書)を辞めさせるということがおこってきた。東京都立高校では全校に配置されていた学校司書が,全定併置校は定時制のみの配置となった。日野市では13年間続いた学校図書館職員配置が廃止になった。文部科学省は,司書教諭とボランティアで学校図書館を運営する方針である。こういったことから,学校司書として配置されている人の中には,その仕事を守るためには,このようないいかげんな司書教諭発令の方がむしろいいのだという意見もある。しかし,この不誠実な発令状況がまかり通るということは,現在の学校図書館の社会的な位置を示していないだろうか。

 学校司書は盛り込まれず,全体の4割以上を占める11学級以下の学校は切り捨て,教員の定数は変わらないため司書教諭の授業数軽減は期待できないなど,確かに問題の多い「改正」であった。しかし,その趣旨は「学校教育の改革を進めるための中核的な役割を担う」ための改正であったはずである。それが,このようにないがしろにされていることに,学校図書館関係者はもっと怒らねばならない。そして,同時に,学校図書館が学校教育に欠かせないものであることを,世の中に未だ示せていない現状を深く反省しなければならない。

 それぞれの立場や主張はあるだろう。しかし,学校図書館は子どもたちの未来を支えると認識すれば,おのずと道は見えてくるのではないか。学校図書館で働く者は,学校教育の中に喰い込んで,生き生きとした学校図書館活動を作り出し,ボランティアではできない働きを見せていこう。司書教諭をはじめとする教員は,学校図書館を使って新しい授業の可能性に挑戦してもらいたい。そこに未来が見えたら,より幅の広い奥の深い「おもしろい」授業のために学校図書館職員が必要だと声を上げてほしい。

 日野市の学校図書館職員たちの最後の挨拶の中に,「市立図書館の支援も得られなかった」とあった。13年の月日の間に,お互いに協力体制を作り上げることができれば,違った結果があったかもしれない。公共図書館の司書は,サービスの視野に学校図書館をとらえてほしい。

 学校図書館を考えることは学校を考えること,学校を考えることは教育を考えること,教育を考えることは子どもたちの未来を考えること。子どもたちの未来に関心のあるすべての人は,まず近所の学校図書館を覗いてみることから始めよう。そこに子どもたちや教師たちの笑顔や真剣な眼差しが見えるだろうか。豊かな教育が展開される可能性が感じられるだろうか。日々育っていく子どもたちだからこそ,今,学校図書館に,内からも外からもさまざまな角度からの目が注がれることを願ってやまない。

(いいだ すみ 理事・小林聖心女子学院)