《座標》『図書館界』56巻2号 (July 2004)


平和,平和,平和,そして図書館

渡辺 信一

 正面切って平和論を述べるほどの素養はない。しかしイラクが戦場化して人の命が,また文化的遺産が消し去られる状況にあっては黙して語らず,というわけにはいかない。
 顧みるに筆者の少年時代は軍国主義華やかな時代であった。課業の多くが軍事教練―木銃でこそあったが―さらには勤労奉仕に費やされた。国策映画による軍隊の姿は威風堂々としていた。また出陣の前に,母校の恩師に別れの挨拶に訪れる先輩たちの軍服姿は凛々しいものがあり,われわれの多くは海兵や陸士に憧れたものであった。
 やがて敗色濃厚となり,多くの悲惨な状況が伝わってきた。沖縄の決戦でも,泣き声で敵兵に在りかが知られるとして,いたいけな乳飲み子を日本兵に殺された話,B29の投下した焼夷弾が不幸にも自分の息子を直撃し,泣き叫びながら危険を顧みず弾頭を遺体から引き抜こうとした母親の話。多くは戦後,世の中が平和になってから生々しい事実を知らされた。
 これら悲惨な状況は近隣諸国の人々をも巻き添えにしてのことである。現実にイラクでも同じようなことが起こっているではないか。

 日本国憲法はお仕着せの憲法だという。しかし,当時の日本人は一様に,平和を心の底から願った。前文にある「日本国民は,恒久の平和を念願し...」については,万人の願いであり,不変の真理でもある。教育基本法もそれを受けて「世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意」を示しており,また「真理と平和を希求する人間の育成」を期することを明確に述べていることは衆知の事実である。

 風薫る五月,はためく分会旗のもとに“教え子を再び戦場に送るな!”と声高に叫びながら都大路を歩いたことはつい昨日のように思われるが,そのスローガンは風化したのであろうか。
 その後,学生運動は70年安保と重なって激化した。日本のみならず,米国においても筆者は大学紛争を目の当たりにした。当時も若者の意識はある意味で純粋であり,彼等の大学改革の要求が無視された状況にあっては,公害問題にしろ,ベトナム戦争反対にしろ,そのひとつのきっかけとして大学紛争は当然起こるべくして起こった。ただ問題は,一般学生から世界同時革命を叫ぶ赤軍派などが遊離し,かたや当局が制圧に乗り出し,結果として教員組合がせっかく時間をかけて真剣に討議を重ねてきた基本的合意と組合の組織にひびを入れた格好となったという事実である。

 2年ばかり前,ある国際シンポジウムでコーディネータを務めたとき,日頃,尊敬しているT氏がパネリストの立場で次のように言われた。「戦時中の平和の求め方は,心の中だけでしたが,平和になった後にはその平和を維持していく努力が必要です。それは非常に難しいことだと思います。」しかし,その努力はどうしても必要であると強調された。同氏はさらにことばを続けて,図書館ほど平和を望んでいる機関はない;昔から戦争になると,人間が営々と考え,記録し,蓄積したものをたたきつぶすことになる;さらには相手の考え方の根拠を失わせるために図書館が破壊される,と言われた。
 事実,ビデオ:Into the Futureの初めの場面に,ボスニア・ヘルツェゴビナの民族紛争では,“多くの貴重な記録を破壊し,民族の文化とアイデンティティを消し去ろうとして何百発ものロケット弾が国立図書館に打ち込まれ,経典などの貴重な資料が焼失する”といったショッキングなシーンが描かれている。

 1986年のIFLA東京大会では,当時のIFLA会長Hans‐Peter Geh氏は次のように述べたあと,高らかに開会宣言を行った:Since peace is not only of existential meaning of peoples but also for libraries:libraries can only blossom and thrive in the time of peace...恐らくGeh会長には図書館員たちの貴い生命をも奪った欧州での戦争の惨禍が脳裏をよぎったことであろう。
 限られた紙面ではじゅうぶん意を尽くせないが,筆者は“平和,平和,平和,そして図書館”と頑なに訴える。

(わたなべ しんいち 理事・同志社大学)