《座標》『図書館界』56巻6号 (March 2005)


ライブラリアンの輝き

志保田 務

 2005年,21世紀も5年目。「公立図書館に明日はない!?」(本誌,2004年11月号 座標)という暗い予感の時代にある。大学や学校関係者からの年賀状にも,明るい見通しを記したものは少ない。
 構造改革を震源とする不安の兆候はすでに,図書館法,図書館法施行規則改定実施の1990年代末からあった。(1)文科省補助金の廃止,(2)館長の司書資格要件の廃止,(3)司書の配置ほか最低基準の廃止,(4)勤務経験換算などを基とした司書講習一部科目の習得免除等々である。
 委託などの増加で,図書館正規職員の求人が減少するなか,図書館員養成教育が再考を急かれている。だが現在の司書教育関係の科目・単位は上記・図書館法施行規則が数年前にもたらした改変ではないか。時代の軋む音を聞く。図書館学教育関係においても「明日はない!?」のだろうか。

 そうしたなか最近,小さいながら嬉しい体験をした。
 昨年末,2004年度アリゾナ州図書館協会(AzLA)大会に招待され,アメリカ合衆国(以下,アメリカ)ツーソン市を訪れた。研究発表のためである。異常気象のなか,懐かしい友たちが温暖な土地柄(夏は猛暑)に不似合なオーバー姿で会場に現れた。多くは,AzLAのホーナー日本交流基金の支給を受けてわが国に研修に来たライブラリアンであった。彼ら(ほとんど,彼女ら)は3日間の州図書館大会を切り回し各部会を快活に捌いた。その明るさは,彼らの専門職としての矜持にあると思われた。AzLAは,個人会員制であり,加入資格は,図書館・情報学の専門職であることに求められる。
 アメリカの図書館の環境は必ずしも良好でない。図書館員学校の消滅・再編成などが相次ぎ,かつて私が訪問研究員をしたアリゾナ大学図書館学校も,情報資源学科に名称を代えている。だがその研究科科長は,AzLA大会を,同会の会長と並び中心的に運営していた。図書館員養成教育界が図書館界の活動と足並みを揃えている。AzLAを取り仕切ったホーナー日本交流基金派遣者の多くも,アリゾナ大学のMLS号を持ち図書館で働く。

 この,ホーナー日本交流基金は,1950年代の英語教科書「Jack and Betty」の共著者,故ジャック・ホーナー博士と共に1988年始めた。以来,私が彼らに関わった十余年が経過した。隔年に来日した6人の派遣者の図書館人生は,激しく躍動している。
 第1回のキャシー・チャンはフェニックス市立図書館につとめ主に障害者サービスを担当しているが,近々故郷・香港に戻って活動すると言う。
 第2回のキャロル・エリオットはアリゾナ大学法科図書館員であったが,来日後もメキシコ,キューバ,アフリカへの派遣を受け,今は法学博士号を採るために学生となっている。
 第3回のフラグスタッフ市立図書館員は停年退職。
 第4回のクリス・スワンクはMBAで有名なサンダーバードのライブラリアンであったが,今はツーソンのコミュニティー・カレッジに勤めている。肩書きは図書館員だが,情報学教師としての活動をするため年9ヶ月の勤務に契約を止めている。
 第5回のフィリップ・ハッキネンはツーソン市立図書館員であったが,子息の健康のため気候の良いオレゴン州の小図書館の長に転じている。
 第6回のシャーロット・コヘンは,フェニックス市のティーチャー・ライブラリアンである。1998年に派遣された彼女は,ホーナー日本交流基金の日本側受け皿をJLAに移す大役を果たした。
 彼らの日本適応を助けたのは,故・静子ラドビル,克子ホテリングなど日系図書館員である。
 AzLA大会には活躍方向を転じた者も戻ってきた。その行動の源に図書館専門職の矜持が窺える。

 図書館関係の状況は芳しくない。しかしアリゾナで見たライブラリアンの眼の輝きが日本にも欲しい。わが国では図書館員再教育案「上級司書」などが噂されている。それは司書の専門職性の進展に繋がるだろうか。図書館の専門職集団は,着実な実践と高度の養成教育に繋がり,誇り高く在りたいと願う。

(しほた つとむ 桃山学院大学)