《座標》『図書館界』57巻2号 (July 2005)


過去に目を閉ざす者

山口 源治郎

 「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目になります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は,またそうした危機に陥りやすいのです。」(ヴァイツゼッカー『荒れ野の40年』岩波書店,1986.2,p.16)

 これは20年前の1985年5月8日,旧西ドイツのヴァイツゼッカー大統領がドイツの敗戦40周年を記念して行った演説の一節である。ユダヤ人虐殺をはじめ,ナチス時代にドイツ国家とドイツ国民が行ったことに対する深い歴史認識に支えられたこの演説は,当時私たちの間で大きな話題になった。また「戦争を知らない世代」の「戦後責任」を深く考えさせられた記憶が今も鮮明に残っている。

 ヴァイツゼッカーはこの演説で,「心に刻む」ということに繰り返しふれ,「心に刻むというのは,ある出来事が自らの内面の一部となるよう,これを誠実かつ純粋に思い浮かべることであります」と述べている。戦後ドイツはこの加害者としての責任を背負い続けることによって,国際社会からの信頼を回復してきた。またそのこと無しには国際社会に復帰することはできなかった。

 片や日本はどうであろうか。戦後60年間,日本は戦争の直接の当事者となることのない時代を過ごした。そこには戦争はもういやだ,再び戦前にしてはならないという,国民の強い思いがあった。そうした思いが日本国憲法や教育基本法の「改正」を阻み,平和を持続させる力となってきた。しかしそれはしばしば戦争被害者としての思いであり,加害者としての責任や反省は弱かったと言わざるをえない。そうした弱さが加害の歴史を「自虐史」と揶揄する勢力の跋扈を許している。「国際貢献」と称する海外派兵を許している。「反日デモ」というステロタイプ化されたマスコミ報道を許している。

 そして今,国会では4月29日を「昭和の日」にするという法案が審議されている。法案によれば,「激動の日々を経て,復興を遂げた昭和の時代を顧み,国の将来に思いをいたす」日なのだそうだ。4月29日とは言わずと知れた昭和天皇の誕生日である。ヒトラー,ムッソリーニと並び称された人物の誕生日に,日本国民は何を「心に刻む」のであろうか。最近中国の各地で起こっているいわゆる「反日デモ」参加者の「反省しない日本」ということばが心に刺さる。

 ところで4月29日の翌日の4月30日は「図書館記念日」である。戦前の図書館記念日は4月2日であった。昭和6年4月2日に帝国図書館長が行った昭和天皇への「御進講」を記念するものであった。戦後の記念日は,図書館法の公布(1950年4月30日)を記念するものである。同じ図書館記念日であっても,記念すべき事柄は全く異なっている。それは戦前と戦後の図書館の基本的性格の違いを象徴している。戦前の図書館が天皇や国家のための図書館であり,「思想善導」という名の「思想統制」を任務とする機関であったとすれば,戦後の図書館は国民の権利保障を任務とする機関へと転換した。その法的土台に日本国憲法や教育基本法がある。

 戦後世代が人口の約4分の3に達している今日,戦前社会や戦争のことは,祖父母の昔話の世界になっている。戦争はよその国で起こっているが,映画かゲームのようにテレビ画面からたれ流されるものでしかない。それ故に,戦争や平和や自由について,繰り返し体験を語り伝え,想像し,じっくり考え,考えたことを交換し,判断することがいま大事なのだと思う。そして図書館はそうした人間的行動のために,現実にどこまで必要な資料と情報を提供し,場を提供できるのか,その真価も問われている。

 奇しくも図書館記念日は昭和天皇誕生日と憲法記念日の間にある。4月30日の図書館記念日には,過去に目を閉ざすことなく,目を凝らし,心に刻み,何のための,誰のための図書館かを誠実に純粋に考えることにしよう。

(やまぐち げんじろう 理事 東京学芸大学)