《座標》『図書館界』59巻1号 (May 2007)


教育基本法「改正」と図書館

塩見 昇

 2006年11月の本会「図書館学セミナー」において,「教育基本法と図書館」を取り上げた(58巻6号参照)。それから1ケ月後に改正案は強行採決され,半世紀余,日本の教育の根幹を支えてきた教育基本法が初めて改定された。セミナーでは多くの疑義や懸念が表明されたが,それらが今後どのような展開をみるのだろうか。ここで新たな情勢下での「教育基本法と図書館」について再考してみたい。

 今回の「改正」は,教育基本法の基本を一変させた。そのいくつかを挙げると,(1)憲法の理想を実現するものとしての教育基本法という関係を除去した,(2)教育の目的が,あらゆる機会,あらゆる場所において実現されるべきという「教育の方針」を除いた,(3)代わって「教育の目標」を新設し,人間の思想や内面にかかわる価値を法定化した,(4)教育行政に関する条文に,「この法律及び他の法律の定めるところにより」を挿入することで,「不当な支配」の主体を逆転させ,公権力の権限を強化した,(5)教育振興基本計画策定を制度化したこと,などである。

 基本法の改定は当然,それを基にした教育関係諸法規の改定を必須とし,既に学校教育法,地方教育行政法,教職員免許法改正の作業が進んでいると伝えられる。恐らくその次の段階に社会教育法が取り上げられ,それに連動して図書館法に手が入ることは避けられまい。この問題への対応がこの1~2年の大きな課題となるものと思われる。

 社会教育法と図書館法の改定がセットで取り上げられようとしたのが1971年である。結局は無為に終わったが,図書館法を社会教育法に併合する改正が文部省サイドで企図された。

 図書館法は「社会教育法の精神に基き」,社会教育法は「教育基本法の精神に則り」と冒頭にうたうことで,これらの法が共通の理念に立っていることが明白である。その象徴的な表現として,「あらゆる機会,あらゆる場所」を通しての「実際生活に即する文化的教養」を高め得る環境醸成がある。ここに図書館の基本的な役割と存在基盤をみることが,いまとりわけ重要であることを強調したい。

 「教養」については,教養主義という側面もあってあまり積極的に評価されたり,論議されることは少ない。例外的に2001~2年に中教審の「教養教育の在り方について」の答申など,話題に上ったこともあるが,一過性に終わり,文部科学省の施策においても大学の教養科目の扱いに見られるごとく,軽視の傾向ははっきりしている。実利的,効率的な知識・技能の重視に対して,あればあるにこしたことはないが,といった程度の扱いにとどまりがちなのが教養の一般的な位置づけであろう。

 だが果たしてそれでよいのだろうか。科学技術の急速な進歩により,人間の営為がかつて夢やロマンの世界であった地点にまで及ぶ現在,その知識・技能を駆使する人間の在り方が根底のところで問われることは,多くの事象で明らかである。ヒトが人間であるために,人間らしく生きるために必要な教養の重要性が深く問われねばならない現代である。

 この課題把握は,実は公共図書館のあり方,「これからの図書館像」をめぐる論議とも深くかかわる。文部科学省が2006年3月に発表した「これからの図書館像」報告が,図書館の有為性を社会にアピールする実践の提起として重要な内容も含むが,その際,「課題解決に役立つ」図書館,情報サービス重視の対極に「教養・娯楽」の図書館像を据え,それだけでは図書館の社会的評価は得られないとする論調を展開し,それを補強する意見も散見される。

 図書館が人々の暮らしにおけるさまざまな課題の解決に資することは当然である。現にそのように使われているし,使われるべく努力している。それをことさら「○○に役立つ」と図書館がうたうことで,直接的な効用を一義的な目的とはしない教養を相対的に軽視することは,図書館サービスを限られたもの,非常に軽薄なものにする危険性がある。「実際生活に即する文化的教養」を誰もが主体的に身につけ,人間としての生き方を確立することにこそ,図書館は役立つものでなければならない。たとえ戦略的主張にせよ,そのことに躊躇があるべきではない。

 近々に予想される社会教育法,図書館法の改定論議において,無料公開条項の厳守と共に教養論議を積極的に展開することの重要性を提起しておきたい。

(しおみ のぼる 本会理事)