《座標》『図書館界』60巻3号 (Sept., 2008)


メディアの状況と図書館

議論の前提

川崎 良孝

 昨今の公立図書館は構造的転換といわれるように,非常に大きく変化している。そうした変化を生んだ要因として経済状況と技術革新を否定する人はいないだろう。そして現状を受けて現実の施策やサービスについて図書館界の内外で議論されている。それらは政策論議であったり,日常業務から生まれる実践的な論議であったりする。現在の図書館の状況を肯定するにしろ,批判するにしろ,さらには切り捨てるにしろ,現在の状況の理解,状況の根底に流れている思想の理解を欠かすことはできない。そして転換なり変化を理解しようとする場合,すなわち過去の総体を背負っている現在の理解に際して,時間や空間を離れたところから分析するのは,そうした理解を深める有効な方法になる。

 早くも1978年にF.ランカスターは『紙なし情報システム』(植村俊亮訳,1984)で,活字資料の蓄積の場としての図書館の終焉を示した。また1992年にパークは「司書職の消滅は直接的には生じないものの,周縁化と呼ばれる過程を通して生じる」(B. Park,“Libraries Without Walls,” American Libraries, p.746)と述べた。そして1993年にハリスは1970-1990年代初頭までの文献を展望し,図書館関係文献では「危機が支配的メタファー」であると分析した(M. Harris and S. Hannah, Into the Future)。概して図書館をめぐる危機感はインターネットの時代になって高まっている。例えば1990年代中頃から大学図書館界では「アクセス対ホールディング」という議論が盛んになった。端的に述べると,資料や情報へのアクセスを保障すべきであるが,建物としての図書館は不必要(重要ではない)という主張の是非をめぐる議論である。この議論には物理的図書館の将来への不安や懸念が窺われ,それは図書館や図書館員の存在意義の問題にまで発展している。

 こうした状況を理解するについて,他国での現実の論議や実践を参考にするのは,自国での状況を相対化するという点で重要である。それと同じように歴史的な理解も実りある成果を生むであろう。

 第2次大戦直後のアメリカ図書館界を取り巻く状況をみると,一面で現在のメディアの状況に似ている。戦後まもなく大きな調査「公立図書館調査」がなされた。これは戦後社会に適応すべく図書館や司書職の再編を目的にし,この目的の背景には公立図書館が出現し発展してきた19世紀とは社会が異なるとの現状認識があった。同調査は12冊の単行本を生み,ベレルソンの『図書館の利用者』(B. Berelson, The Library’s Public, 1949)が有名である。ベレルソンは現実の公立図書館利用者はエリートに偏在しているとし,このエリート層に充実したサービスをすることで,図書館は間接的に地域全体に奉仕でき,その理由づけで予算も獲得できると主張した。この主張はリーによる同調査の基調報告書『合衆国の公立図書館』(R. Leigh, The Public Library in the United States, 1950)に取り込まれた。そして図書館界はエリート主義と非難し,公立図書館調査の分析結果と主張を真摯に検討することはなかった。

 ところで同調査では基調報告書を除いた11冊のうち5冊が新しいメディアの出現と図書館の関係を扱っていた。すなわち書籍産業,情報フィルム,図書館や他の情報源の利用,マスメディアの影響,音楽資料の活用である。また当時の新しいメディアとは,ペーパーバック,新聞,雑誌,ラジオ,テレビ,映画などである。要するに19世紀とはメディアの状況が大きく相違しており,そうしたメディア総体における公立図書館の位置と役割を考察したのである(公立図書館調査は以下を参照。D.レイバー『司書職と正当性』原著:1997;川崎訳,2007)。

 このようにみると1990年代後半以降と戦後直後は似ているのだが,両時代の論議を比較すると興味あることがわかる。公立図書館調査がベレルソンの主張を受容した点はともかく,同調査の土台は社会的,政治的,文化的な考察であり,民主主義の解釈である。一方,現在の議論の土台は経済や技術で,それに基づいて語句が使用されている。その場合,同じ「利用者」という語句が使われていても,実質的に意味する内容が相違する場合がある。すなわち語句の実態としての意味が変化している。こうしたことの理解は現状の「理解」にとって本質的に重要なことと思える。

(かわさき よしたか 理事長・京都大学)