《座標》『図書館界』60巻4号 (Nov., 2008)


図書館という公共空間

山口 源治郎

 仕事柄,図書館協議会の委員を委嘱されることが多い。先日このうちの一つの自治体で,協議会答申を作成し教育委員会に提出した。

 協議会答申というと,事務局担当の職員が原案を書き,協議会で一部修正して完成というパターンがまだまだ多いのではないかと思う。しかしこの協議会では「自分たちの手で答申書を書きたい」ということになった。自分たちで書くということは,自分たちで図書館について調査し,評価し,議論し,あるべき図書館のイメージを共有し,それらを適切なことばで表現するということに他ならない。それは時間も労力も要する結構しんどい作業である。

 しかし答申書作成にかけた2年の時間は,実に楽しく充実したものだった。議論の過程では,地域や子どもたちの状況,市民活動の状況,図書館への不満や要望,図書館活動の現状,委員が抱く図書館への思いなどが次々と出された。というわけで改めて地域と人間のおもしろさと奥深さ,図書館への思いを感じさせられた2年間であった。

 そこから言えることの一つは,答申づくりとは,学習そのものであるということだ。各委員が図書館に関する認識や要求をぶつけ合い,問題を発見し,解決し,認識を高め合う。提言や結論として合意される事柄の内容も,一部の方々が心配されるような極端な内容のものではなく,むしろ市民の良識と成熟度を伺わせる内容となることが多い。このことは近年の豊中市や箕面市,静岡市などの協議会答申などを見ても明らかだと思う。

 また,答申づくりは民主主義そのものだということである。活字になっていないような地域情報,人間情報も含め,多様で豊かな情報が協議会に提出され,委員の間で共有される。そして制約された時間の中ではなかなか難しいが,行きつ戻りつの議論やすれ違い,そんなムダや寄り道がたくさん必要だ。それがあってはじめて,問題が整理され,共有され,納得しながら結論にたどり着けるのだと思う。

 確かに事務局担当の職員が答申の原案を作ると,項目に漏れがなく,バランスもよく,行政側との摺り合わせもすませ,役所の文法に従った内容になり,短時間に効率的に作成できるのかも知れない。しかしそれは市民が図書館や地域について学び,認識を深め,高い合意を作りだす権利,じっくり考える権利を奪うことではないかと思う。図書館協議会はこのような意味での,市民の参加と学習と合意形成を保障する「公共空間」なのである。

 ところでこの「公共空間」ということばは,多義的に使われている。総務省の「地方公共団体における行政改革の推進のための新たな指針」(平成17年3月29日)では,「これからの地方公共団体は地域のさまざまな力を結集し,『新しい公共空間』を形成するための戦略本部となり,行政自らが担う役割を重点化してゆくことが求められている」と述べ,今後の行政改革指針のキーワードに,この「新しい公共空間」を位置づけている。

 そこでは,「戦略本部」のコントロールのもとに,地域のさまざまな資源が,行政目的のために再編成され,運用されるような「新しい公共空間」が想定されている。またそこでは公共の担い手は多様であるということを口実に,公共サービスの民間委託を進め,「行政自らが担う役割を重点化」する作戦が描かれている。そしてこの「新しい公共空間」には,寄り道しながら学ぶことも,じっくり考えることも,ムダを積み重ねることもない,効率的で経済的な世界が聳え立っているように思える。それは市場社会の原理には合致することかも知れないが,生きた人間の現実からは離れている。

 図書館がどのような意味で公共空間なのかについては議論があろう。しかし人間への関心や人間への現実感覚を欠いたところに図書館という公共空間が成り立つとは思えない。森耕一先生が以前,「技術のナルシズム」について指摘している。それは図書館利用者への関心を欠落させた整理技術のあり方への批判であった。今また図書館の経営について,指定管理者制度など「手法のナルシズム」が広がろうとしている。あえていわせていただきたい。そこで作られる図書館の空間は,生きた人間と何か関係があることなのか?

(やまぐち げんじろう 理事・東京学芸大学)